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今月の特集10年後の未来図を視てみたら……

平成30年の神楽坂[後編]

神楽坂を休もう!

長岡弘志[かぐらむら編集発行人]

photo平成10年から20年までの10年間、神楽坂はボランティア花ざかりであった。よその町がうらやむほどの賑わいで、どうしたらそんなに多くの人がボランティアとして集うのか、不思議の一つでもあった。それは、小さなイベントを企画するミニプロデューサーの多さになにより起因している。プロデューサーといっても素人で、にわかである。いつもはごく普通の人だ。その一般人が、ついプロデューサーに変身してしまうのは、やはり神楽坂の持っている魅力のせいだ。その魅力を、いまさら分析するつもりはないが、「ほれた相手にゃ、勝てない」のである。ついひと肌もふた肌も脱いでしまう。平成28年には、にわかプロデューサーの数、百人(推定)を超える、これがパワーの源になっている。もちろん、花柳界の存在、老舗の粋な名店、ミシュランに輝く味の名店などがあってのことだが、ミニプロデューサーの活躍も見逃せない。素人だが、ほれた強みがある(弱みもある)。神楽坂の魅力を紹介するには、こと欠かないのだ。
神楽坂の各商店街も負けてはいない。こちらは売るためのプロである。阿波踊り、ほおずき市、春秋の市、地域限定ブランド商品の開発、特典セールなどと日本でも有数の活気のある商店街をリードしつづける。
しかし、あまりにも忙しくなってしまった。歩き方もせわしなく、表情も怒りっぽい人が増えていた。平成29年の神楽坂の大小の行事・イベントの数、八百八。来年には千にも達するという時、暮れも押し迫った商店街の役員会で、誰かが「もう少し休もうよ」と提案した。ミニプロデューサーたちも、毎日が祝祭日のようになった賑わいに、町の豊かな時間が失われつつある気がしていた。かくして「神楽坂を休もう!」という言葉が、平成30年には、広まっていった。