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今月の特集神楽坂での記憶と記録

シウォルサランバン−神楽坂のお客さん−

隠れるための迷宮

長岡弘志(かぐらむら編集発行人)

photo好きか嫌いか、はっきりせぬが、毎日いくつもの坂道をのぼりおりする。朝はのぼることが多く、午後はおりることが多い。会社の所在が、神楽坂6丁目の少し高い場所にあるせいだ。夏目漱石の「草枕」には、こうある。「山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかく人の世は住みにくい。……」坂をのぼりながら、私もぼんやりと考える。「神楽坂は、住みやすいまちだ。対人関係で窮屈な思いをしたことがない。でもそれは、私がぼんやりしているからか、それともこのまちの人がやさしいからか……」などと、まだ朝の気配の残る坂をのぼりながら、考える。

坂の名前を意識して歩いていることはないが、意味深の名前の坂も多い。私がよく歩く神楽坂界隈の坂は、赤城坂、朝日坂、逢坂(おうさか)、相生坂(あいおいさか)、地蔵坂、弁天坂、軽子坂、瓢箪坂、袖摺坂(そですりさか)などだ。その坂の先や、中腹には必ず知り合いがいるので会いに行くことが多い。小さなタウン誌を編集しているせいで、一般の人よりも頻繁に坂をのぼりおりしている。
要は、土地が傾いているから坂道なのだが、こんなにもあちこちの方角に傾いている土地も珍しい。傾きながら、狭い迷路のような路地へとフェードアウトして行く。
この感覚が一番好きな私の歩き方だ。あるいはクランク状に路地が折れ曲がり、探偵や悪漢の追跡をかわすような気分にふっとなれるのも面白い。そして折れ曲がった先には、昔ながらの隠れ家があるのだ。隠れて憩いたいのは、今も昔も大人たちなのだろう。

花柳界のあるこのまちは、隠れ家だらけである。でもその隠れ家に辿り着くまでに、いくつかの坂をのぼらなくてはならない。大人の隠れ家には、漱石ではないが、浮世のことをあれこれと思いめぐらしながらのぼり、辿り着くようにできている。帰り道は、坂をおりていく。とぼとぼとか、意気揚々とかはわからないが、おりて行く。かつて東京には数十カ所の花柳界があったのだが、これほど変化に富んだ地形にあるのは、神楽坂をおいてほかにはないだろう。一年三百六十五日、晴れの日も雨の日も風の日も関係なく、神楽坂にやってきて、夜になったら坂をおりて行く。そんな几帳面な暮らしを五十年も続けたら、いつか坂のずっと上にある、あの世にのぼれるのだろうか。
(写真:カヤグムの演奏)