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今月の特集江戸中の町はこの話題で持ち切りに――

神楽坂、行元寺境内での百姓による仇討事件

神道無念流宗家、戸賀崎熊太郎

冨吉の師とは

冨吉に剣を教えた戸賀崎熊太郎暉芳(てるよし)は、21歳の若さで皆伝の免許を受け、麹町裏二番町に神道無念流の道場を開いた。親の敵討を目的に入門を乞う若者を、百姓の出であるからと最初は拒むものの、その熱心さに心動かされ居合いを学ばせるなど、冨吉を5年間で鍛え上げた。そして仇討に際しては門人を動員して敵を探させ成功に導いた。暉芳は岡田吉利(よしとし)十松ら高弟数名に、もし斬り合いとなった場合には、方人(かたうど=味方)として助太刀に付くよう命じていたという。

暉芳がこの顛末についての記録を書き残している他、巷間でも実録本が流布するほどの評判となり、この仇討を機に神道無念流は一躍有名になった。その後の門下生として、長州藩の桂小五郎(木戸孝允)、高杉晋作、品川弥二郎、新選組の剣客、永倉新八、芹沢鴨らがいる。特に桂小五郎は藩命で帰藩するまでの5年間、塾頭・師範代を務めたほどの腕前であったという。

その後の暉芳は江戸の道場を岡田十松に委ね、故郷である武蔵国埼玉郡清久村(現埼玉県久喜市上清久)に帰って道場を開き、近隣の子弟を指導しながら筆墨に親しんで、穏やかな晩年を送っている。