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今月の特集戦前のビリヤード場

牛込・神楽坂のマッチラベル

ビリヤードの始まり

明治期を席巻した大人の遊戯

photo長崎の出島では200年以上前から行われ、オランダ商館を訪れた人のもてなしにも使われていたようだ。自由に出歩く事が許されなかった異人にとって、天候に左右されずに安全な室内で楽しむことが出来る格好の遊戯だったのだろう。
(写真:末廣。牛込区山吹町231。同所に末廣銘仙店があった。主人か息子の趣味が高じて、ビリヤード店も経営したのだろうか)

photo東京では、明治4年、築地精養軒に設置されたのが嚆矢とされている。その頃は、もっぱら「玉突き」と呼ばれていた。明治12年6月には東京に53軒もの玉突場があったという。上流階級や富裕層を中心に広まり、鹿鳴館や、陸海軍将校のサロンである偕行社、水交社などに置かれて社交遊戯として親しまれた。富豪の館に置かれた台は、家紋を入れた金の蒔絵を施した贅沢なものだったという。

photophoto明治11年の有喜世新聞では、九代目市川團十郎や、五代目尾上菊五郎が玉突きに熱中している事を伝えている。役人達の賭け玉突きがしばしば問題になりこれも新聞沙汰になった。明治12年10月、賭けの対象になることを恐れた明治政府は、営業を許可制とした。