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今月の特集戦前のビリヤード場

牛込・神楽坂のマッチラベル

ビリヤードの普及

かつて多くのビリヤード場が牛込にもあった

photo精養軒のように、西洋料理屋に台を置くなど、単独の営業形態でなかったためか、実態が把握しにくい。独立した店舗として神楽坂界隈に見つけることが出来たのは、大正4年10月に発行された「東京区分土地職業便覧 牛込区之部」に掲れた5軒で、経営者の名前と番地だけが記載されている。神楽坂の2軒は、通寺町21番地(早川有三)と神楽町3の4(中村はま)で、その他の3軒は早稲田鶴巻町、喜久井町、市谷田町にあり、その頃には大学生の娯楽として盛んに行われていた事が伺える。電話帳によると、通寺町21番地は、大正12年には「華陽軒」となり経営者も替わっているが大正末には記載がない。神楽町3の4も大正14年には経営者が替わっている。腰を据えた商売ではなかったようだ。この頃になると射的場と玉突場が区別なく記載されている上に、電話帳に載らない小さな店の方が多かったはずなので、実態は不明である。
(写真:大曽根玉突台製作所。玉突台は、明治の早いうちから国産化された。理由は、日本人の技術力もさることながら一台百キロ以上あるという、その重量だと思われる。付属品や台に貼る羅紗はしきりに輸入されている。戦後、墨田区千歳に移転)

photophoto大正7〜12年の東京年鑑には「比較的高尚な遊戯で、近年広く行われるようになったものにはわずかに球戯があるだけ」と、「球戯」の表記で統計がとられている。警視庁調べの都内遊戯場千軒余のうち、球戯は、224軒〜333軒の間で増減を繰り返し、関東大震災後、大正13年には、537軒、昭和2年には1326軒と爆発的な増加に転移している。

photo昭和11年2月に刊行された「東京市内商店街ニ関スル調査」東京商工会議所編は、商店街の大通りに面した店舗だけしか調査せず、横丁のお店は数えない不完全なものだ。しかも、玉突場と麻雀店を一緒に数えている。この調査では都下の主立った商店街中神楽坂の9軒が一番多く、次が新宿7軒、銀座、上野広小路各6軒である。