かぐらむら

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今月の特集戦前のビリヤード場

牛込・神楽坂のマッチラベル

広告マッチ

小さな箱にモダンデザインの競演

photo明治28年に煙草で有名な村井兄弟商会が、京都の陸軍演習に集まった人々に煙草の広告マッチを配って評判になった。商店では、おめでたい図柄を描いてお店を宣伝した刷り物チラシの「引き札」を配る習慣があったが、安価になったマッチに広告を載せる方がより実用的で宣伝効果も高いから、流行らないわけはない。
(写真:牛込倶楽部撞球場。大正10年11月15日に箪笥町41に竣工された貸席演芸場株式会社である。敷地面積144坪。現在の大江戸線牛込神楽坂駅近くの南蔵院並びにあった。ビリヤードも楽しめる複合施設だったのだろう。)

photophoto輸出も盛んで、様々な図柄が使われていていた。マッチラベル(当時は燐票)逸集の元祖は、明治35年に亡くなった根岸武香翁だという。明治36年には、逸集が高じて「三明社」という広告マッチ製造を開始した、福山碧翠を中心に集会が開かれるようになり、専門雑誌「燐友」や愛好家による「錦」が創刊された。

photo大正15年には東京、神戸、名古屋、大阪、各地のデパートで展覧会も開かれた。昭和2年には、福山碧翠20万種、水井正気15万種という記録が残されている。昭和15年になると戦争の影響でマッチの入手も配給切符制となったが、戦後、高度成長期に、再び広告マッチ全盛の時代を迎えた。