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今月の特集好村兼一vs神田織音

「神楽坂の仇討ち」 を語る。

読み物にもなった有名な事件

 

photo好村 剣術の達人の極意に達した人は、だいたい邪心のない包容力のある人ですから。神田さんは、戸賀崎熊太郎の肖像画をご覧になったことがありますか。
織音 いえ、ないです。
好村 相撲取りのような雰囲気で、ほんとに熊のようです。でも気は優しくて力持ちの感じですね。私は、どうしても剣道が主体だからそちらの話から入りました。神道無念流という流派の響きも魅力があり、そのいわれも一緒に書いておきたいと思ったのです。神道無念流は幕末には、江戸三大流派の一つになっていますが、そういういきさつも書きたかったのです。
織音 私にはその両方が楽しめました。

好村 講談というものは、昔から伝わっているものなので、その内容を勝手に変えることはできないですね。
織音 今回のものは古典講談ではありません。神楽坂に行元寺というお寺があって、そこが舞台となって農民が仇討ちをした事件があり、その史実をもとに、神楽坂でまちガイドなどさまざまな活動をしている山口則彦さんが、これをもとに講談をつくりたいということで台本を書かれた。それを私が語りやすいように相談しながら直させていただいた、まったくの新作なのです。
好村 元となる仇討ち話は残っていなかったのですか?
織音 読み物になったこともあったようです。
好村 私も有名な話だから、昔からあるのかなと思ったのですが。
織音 速記本や瓦版でも残っていそうなんですが……。
好村 そうですか。

photo織音 もしかしたら、神楽坂には明治時代から鶴扇亭という講談専門の寄席がありましたから、そこで語られていたのかもしれませんが、今講談ネタとしては残っていないようです。
好村 あったかもしれないが、立ち消えてしまったかもしれない。とにかく新しくつくったのですね。
織音 はい。その山口さんが、明治時代に神楽坂から西五反田へ移転した行元寺を訪ね、残っている碑などを改めて見て、話をつくり上げたのです。
好村 まだ仇討ちの碑が残っているんですね。
織音 はい。陰語碑といって、非常に興味深い内容です。牛込に住んでいた蜀山人(大田南畝)が、事件後にかなり時間がたってから碑を建てて顕彰しています。そこには、富吉と甚内の名前が暗号のように残されています。